「尼寺坂と国分尼寺」

  • 2013.08.14 Wednesday
  • 09:45
 

 

 

妻高の正門を右に出ると、




すぐ、左ななめ方向に下る道があります。





これを

“尼寺坂”(「あまでらざか」、または、「にじざか」)といいます。


 



ご覧の通り、車がやっと一台通る程の細い道。

 



今は、正門を出て左にある


“聖陵坂”





の方が主要な通学路となってますが、



往時は、“尼寺坂”が主要道。





学生帽をかぶった旧制妻中生は、

この道を通っておりました。




 




ところで、現妻高の敷地には、国分尼寺がありました。





この西都が日向の国府として、

政治・文化の中心であった時代。




学校敷地の南側(木喰五智館の一帯)には、国分寺が、



そして、学校の敷地には、国分尼寺がありました。





今風に言えば、女子高・・・





知性あふれる女性たちが、

学んでいたその場所で、妻高生は学習しているのです。

 




かつて、工事のためにグランドを掘ると、

尼寺の遺構が出てきたそうです。




その時の空中からの写真が、これ。


 



まるで、生き物が掘った穴のようですね。

すぐに、土をかぶせ、もとに戻したとか・・・

 




さすが、古(いにしえ)の妻高です。

 

 

 

「妻高の名所 ばば池周辺」

  • 2013.08.13 Tuesday
  • 13:35
   


妻高校の敷地の北側、

ゴミ捨て場のちょうど裏の方から入り、






獣道を50メートルくらい下っていくと・・・






通称「ばば池」とよばれるため池があります。




かつては、ここが水泳の練習場。




今も、当時の飛び込み台が残っています。




泳いでいると、蛇やカエルが出てきて、大騒ぎ、

ということもあったとか・・・




ただ、ここで練習した水泳部は

県大会で、何連覇もしたことがあるのです。

 

 

 

妻高校は、全国でも有数の西都原古墳群の一角に位置し、

敷地内には古墳が5つ程あります。

(人によっては7つとも言う)

 

弓道場横の古墳(校内では一番大きい)

 

 

 

図書館南側に古墳

(小さいが、目立つ場所にあり、誰にでもすぐわかる)

 

 

 

正門横の古墳

(正門から右への道が狭いのは、この古墳が原因なのか・・・)


 

 



古墳は主に、洪積台地につくられます。



洪積台地とは、洪積世という地質年代に形成された地形。



河川からはやや離れ、雨水が地下深くまで浸透するので、

水田には適しません。



地名には「○○原」のように

“ハラ”、または、“バル”がつくことが多く、

「新田原」「西都原」もまさにそれです。


したがって、

水の供給を安定させるために、ため池がつくられるのです。

 



現在は、立派な50mプールがありますので、

ばば池で泳ぐことはありません。





が、当時を知る先輩方は

「あん、ばば池でよー。・・・・」と

なつかしく語り合うのだそうです。




妻高の歴史を語る上で、

欠くことのできない大切な舞台の一つですね。





 

 

水源地

  • 2013.03.27 Wednesday
  • 16:53



 

昨日は水泳部顧問の山口先生と

部員の甲斐遼くん(三納中)と

 

プールの水源地を掃除してきました。

 



妻高のプールは県内でも珍しい50メートルプール。

 



水は西都の自然を生かし、

 

学校の裏の川から引いてきています。

 



体育館の北側

 

水源地までおよそ900メートル、

ここからパイプが通っています。








ベテランの二人は

 

道無き道を迷うことなくどんどん進んでいきます。



甲斐くんに至っては

早すぎて見えなくなるくらいです!!

  







行く手を阻む木々も倒しながら進み、







およそ150メートルほど斜面を下ったところに

 

ありました。




 

ここが水源地です。

  



水が澄んでいてとてもきれいでした。



  




足下に目をやると

 

確かに上流から流れてきた藻が詰まり、

タンクの水が少なくなっています。





大量の藻をひと掻きひと掻き取り除いていきます。




 



排水溝のゴミをとると







あっという間にタンクいっぱいに!!

  

 

 

流れが止まりかけていたところも




このとおり!!


 



こうして妻高のプールの水は保たれています。

 



あとから聞くと、妻高OBの山口先生も

 

妻高生当時、顧問の先生とこの場所を

 

何度も掃除した経験があるそうです。

 



妻高の伝統を感じました。

 



 

 

 

 

今日は、合格者登校日。

 

合格者の皆さん、

合格おめでとうございます。

 




1限目からテストを行いました。

 

みんな真剣です。




 

 

午後は保護者の皆さんも集まっていただき、

 

体育館で説明会がありました。






雨の中、ありがとうございました。




各教科や各担当から説明をさせていただきました。



 

 

新入生の次の登校日は

 

4月10日、入学式。

 




いよいよ高校生活が始まります!!

 

新入生のこれからの成長に期待しています。






クスノキ

  • 2012.04.19 Thursday
  • 14:26

妻高では
毎朝校門付近で奉仕活動をする
野球部の姿があります。


今は、クスノキの落葉が盛りを迎えていて
それを掃き集めながら
登校してくる生徒たちに
元気に挨拶をしています。


そこに校長先生や部顧問の持永先生、木下先生ら
複数の先生方も加わって
一緒に作業をされています。

すがすがしい風景です。


クスノキは巨木になりがちで
葉や枝には独特の香りがあります。
これを用いたのが虫除けで有名な
樟脳です。
産業のない時代
日本を代表する地域を振興させる
地場産品でした。


また、アオスジアゲハ
巨木となったクスノキの
その高い枝葉の周囲を
飛翔する姿がよく見られます。
クスノキの葉に卵を産み付けるのだそうです。


いずれも高校の頃の授業
出会った生物の先生から聞いた話です。



クスノキを見上げるたびに
そのときの記憶が懐かしくよみがえります
ウィキペディアにはない豊かさです。

本日もまた、暖かい一日でした!「妻高名所探訪」50Mプールを紹介します!!

  • 2010.02.10 Wednesday
  • 16:31

2月10日 水曜日


本日の西都市は、昨日に引き続き、大変暖かい一日となりました。
また、1・2学年の朝課外遅刻指導も引き続いて行われましたが、遅刻者はほとんどいなかったようです。


本日は久しぶりに、「妻高名所探訪」をお届けします!


本日の「妻高名所」は、本校が誇る「50メートル(!)プール」です!!


このプールは、今を遡ることほぼ50年前、昭和37年(1962年)5月20日に竣工されました。
折りしも、本校体育科・水泳部顧問の圖師直利先生が、ちょうど妻高生時代だったそうです。
圖師先生によれば、公認プールとして、「宮崎県高校総体・水泳競技の部」が、このプールで行われたことがあるそうです。
なるほど、観客席が併設されているのはそのためもあったのでしょうね?


 その後、毎年クラスマッチで実施される競技のひとつとして、このプールで、各クラス対抗の「水泳大会」が行われたそうです。古きよき時代ですね!


 現在は、公認プールとしては、(認定更新をしていないため)任期が切れているそうですが、申請しさえすれば、すぐに認められるだろうとのことでした。


 戸外に設置されている50メートルプールは、県運動公園で実施される水泳競技大会に向けての練習場として、絶好の環境であり、そのため、今年はよく、久峰中学校水泳部の生徒の皆さんが、本大会前に練習に来られています。
(圖師先生によれば、屋内のプールと、戸外のプールでは、全く感覚が異なり、慣れないと本来の力を発揮できないことがよくあるそうです・・・!)
 ちなみに、久峰中学校水泳部は、宮崎県中学校体育大会で優勝しています。


  本校でも、夏の体育授業では、伝統的に水泳の授業が現在でも実施され、妻高生の体力向上に大きな役割を果たしている50メートルプールと言えるでしょう!!


ますます大切にしていきたい妻高の財産ですね!!








50Mプールの全景です!





両脇にあるのが、観客席です。かつてここで、
クラスマッチが行われ、大変盛り上がったのですね!







 

芝生広場のワシントニアパームを紹介します!!

  • 2009.12.22 Tuesday
  • 17:13

12月22日 火曜日


  本日は、本校本館前の芝生広場に聳え立つ1本のワシントニアパームを紹介します。


 本校にいらした方なら、お分かりと思いますが、広い芝生広場の中で、ただ1本にょっきと聳え立つこのワシントニアパームは、威厳をたたえつつも、少しユーモラスな佇まいでもあり、独特の印象を与えます。


 聞くところによると、以前は、別館裏に植えてあったそうですが、書道棟を建てる際に邪魔になるため、現在の場所に植え替えられたそうです。
 その費用に30万円ほどかかったとも聞いています。粋な計らいをされたものですね。

 
 本校にお越しの際は、ぜひ注目して見てください!





 夕日に照らし出されるワシントニアパームの木です!





 全体像です!





 体育館の横に立つワシントニアパームの木です!




 
  正面から見たワシントニアパームです!!見事なものですね!!






 

妻中名所探訪 第5回 「未見の我を発見せよ」

  • 2009.11.18 Wednesday
  • 17:33


 本日は、正門に入ってすぐ正面にある学校案内図の裏面の言葉を紹介します。
 ここには、次の文が書いてあります。


 「未見の我を発見せよ」


 この言葉の意味は、おおよそ次のようなことであろうと思います。


 朝起きて鏡で見た自分と、放課後全ての授業を受け終わって様々なことを学んだ自分とは違う自分である。
 見た目は同じだが、違う。違うことを考えることができる自分である。

 
人は何かの結論を導く時には、必ず持っている知識や考え方を基にする。
つまり、基礎となる知識が異なれば、その基礎をもとにして考えて出した答も異なることになる。
 朝の段階では「未見の」自分になっている、のである。


 今度妻高に来られたら、ぜひ、学校案内図の裏面を見てください。




「未見の我を発見せよ」の看板です。



表は、学校案内図になっています。







 

妻高名所探訪 第4回 巨大「校是碑」

  • 2009.11.17 Tuesday
  • 17:18
 妻高名所探訪 第4回 「校是碑」

 
 本日は、本校の本館前の、広い芝生広場の上に佇む、巨大な「校是碑」を紹介します。

 これは、本校創立70周年記念として設置されたものです。創立70周年とは、平成4年のことです。(ちなみに、本校は今年創立87年になります。)
 
 
  「立志」「友愛」「創造」の3つの校是が刻まれた巨石が、基礎となる、2つのこれまた巨大な石の上に載せてあります。
 上の石の大きさは、高さ2メートル、幅が4メートル、厚さが1メートルくらいでしょうか。重さに至っては、おそらく数トンに及ぶのだろうと思います。
 聞くところによると、宮崎県にある碑としては2番目に大きな石だそうです。

 校是の中には、今よく耳にする「友愛」が入っています。
 
 妻高は時代を先取りしていたのですね・・・。




芝生広場に佇む校是碑。一度見に来てください。
その大きさにびっくりすると思いますよ! 



第3弾は、国分尼寺跡の紹介です!!741年建立された尼寺の跡です!!

  • 2009.11.12 Thursday
  • 17:09

 妻高名所探訪第3弾!


 本日は、正門を入ってすぐ左の聖陵会館の先にある、「国分尼寺」跡を紹介します。


 掲示板の紹介によると、この国分尼寺は天平13年(741年!!)に、聖武天皇の「国分寺建立の詔」を受け、全国68カ国に建立されたものの一つだそうです。

 
 当時、この尼寺には、10人の尼僧が常駐していたそうです。

 
 妻高は、西都原台地と市街地に延びる標高25メートルの中段(海岸段丘の跡です)に位置しており、西都市が一望できる良所にあります。


 現在、妻高の立っている一帯は「諏訪遺跡」に指定されており、平成元年の発掘調査では、区画溝と思われる「南北溝」が見つかりました。


 妻高のある場所は、古くから「法華跡」とも呼ばれており、妻高正門から降りる細い坂(聖陵坂ではない)は、今でも「尼寺坂」(にじざか、または、あまでらざか)と呼ばれています。


 おそらく、妻高の敷地の下には、国分尼寺跡の遺構や遺物が数多く眠っていることでしょう。

 
  歴史好きの方は、妻高を訪れた際には、ぜひご覧ください。





国分尼寺跡の記念碑です。


掲示板には、国分尼寺跡の説明が掲載されています。



国分尼寺跡を発掘調査した時の航空写真です。
ちょっと見にくいですが、妻高を真上から撮っています。



 

妻高名所探訪 第2回 「旧制妻中学校門柱跡」

  • 2009.10.28 Wednesday
  • 19:41


 本校のグラウンドの端に、旧制妻中学校の門柱跡が残されています。現在は、写真のように一部だけですが、往時の様子を偲ぶことができます。

 下記の文は、その門跡のそばに立っている掲示板に書かれている文です。妻中学校時代の方達の気持ちが伝わってきます。
 
本校にお出での際は、ぜひご覧下さい。
                                                                              
 本校の前身宮崎県立妻中学校は大正12年に設立された。当時県内には、延岡中
(延岡高校)、高鍋中(高鍋高校)、宮崎中(大宮高校)、飫肥中(日南高校)、都城中(都
城泉ヶ丘高校)、小林中(小林高校)、と妻中(妻高校)の七中学校があった。    
 
 受験生二百五十名の中から、入学許可された五十五名の第一回生から数えて、第二十
一回生までの千四百余名の先輩たちがこの聖陵ヶ丘で学び、現在各界の第一線で活躍し
ている。                                                                    
 
 この門柱は、「質実剛健」の校風を身につけて、巣立った幾多の聖陵健児の青春の記
念碑である。                                                                



門柱の横にある掲示板です。


掲示板を後ろから見たところです。
掲示板の横に、小さく門柱跡が残されています。
 

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